おもてなし

加賀屋の先代女将 小田孝が心を語る「元気でやってるかい」

21.今は、母親として幸せです。

旅館にかかりっきりで
子供たちの面倒は
姉さんまかせでした

加賀屋の料理イメージ

味のおもてなし

【八寸】
車海老アーモンド揚 栗伊賀見立
栄螺串し打ち しめじ 酢蓮根
青銀杏 沢蟹

今は、夫のかわりに、子供たち夫婦が、孫たちが、私を支えてくれています。でも、その子供たちにとって私は、決してよい母親ではありませんでした。旅館の仕事にかかりっきりで、子供たちの面倒は、夫の姉さんまかせでした。

仕事を休んだのは、四人の子供の出産の時と終戦直後にしばらく入院した時だけでしたから、子供たちと旅行をしたことなど一度もありませんでした。唯一の家族団欒は、お墓参りの帰り、みんなで氷水を食べることでした。

子供たちは、それをとても楽しみにしていて、その日は朝から「いつ出かけるの」と幾度もたずね、どこへも遊びに行かないで私の手のすくのを待っていてくれました。いとしさで胸を熱くして出かけるのですが、家を離れると、お客様のことが気がかりで、帰りを急ぐ駄目な母親でした。

かまってやれない分、甘やかすと、将来ロクな人間にならないと、中学になると、金沢へ下宿させました。森山町の河島さんという家でした。家族の仲睦まじい団欒ぶりにはじめて接し、こんな生活もあったのかと驚いたようです。

土曜日の午後に帰って来て、日曜日の最終列車で金沢へ帰るわけですが、時間が近づくと、きまって「腹が痛い」や「風邪をひいた」と、俄づくりの病気になり困ったこともあります。子供の将来を考えて鬼になる心と、夜汽車でひとり帰らすことのいとおしさが交錯して、なんともやりきれない思いでした。

また、土曜、日曜はもっとも忙しいかき入れ時ですので、私は、まったくといっていい程相手になってやれませんでした。夫に向かって、「うちの母さんは、ちっとも子供の面倒なんかみてくれない。あんな母親なら河島のおばさんと替えたらいい」と、不満をぶちまけていたようです。

それでも四人の子供は、忙しい母親の私を優しい理解のまなざしで見つめ、健やかな子に育ってくれました。大学生になった頃は、私のよきはなし相手になってくれました。

息子たちも“旅館の良さ”に
気づいてくれ、
夫と同じ道を歩んでいます

最初に男の子が二人続いたせいか、夫は、父親として、ひとりの男性として、真剣に子供と向かい合っていたようです。長男が東京の大学へ行った時など、用事にかこつけて、よく上京しました。私が、「また東京ですか」というと「仕事、仕事」といっていましたが、目的は、すし屋で好物のゲソを肴に、長男と二人で酒をくみかわすことにあったようです。

東京の大学を終えると、すぐに和倉に帰って、当然のごとく家業に専念してくれました。帰ってすぐは、“宿屋”をあまり好きでなく、学生時代に習ったホテル式の合理的なやり方に憧れを抱いていたようですが、“旅館の良さ”に気づいてくれ、夫と同じ道を歩んでくれています。

渚亭を建てる時でした。夫は健康もすぐれなかったこともあって、迷っていました。それを禎彦(長男)と孝信(次男)が説得したため建てることが決ったのです。いつのまにか二人は、夫の生き方から多くを学び、若いエネルギーでもって仕事をしはじめていました。「若い時の自分を見るようだ」と、夫は幸せそうでした。

真弓さん(長男の嫁)、恭子さん(次男の嫁)をみていると、また私も夫と同じような気持ちになれることが、母親として嬉しいことだと、今は幸せをかみしめています。

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