加賀屋の先代女将 小田孝が心を語る「元気でやってるかい」
15.膝のすり切れた着物。 -お部屋回り事始め-
お部屋回りでお客様の満足度を
肌で知ることができました
味のおもてなし
【八寸】
車海老マヨネーズ掛け 二色玉子
牛肉照焼 諸胡瓜 いくら 梅貝
そんな頃、アメリカさんたちの宴席におきまして、知事さん(柴野和喜夫さん)が、お一人お一人にお酌しながら、丁寧に挨拶して回っておいででした。「あんな、えらい人がこまめに…」と、まことに感心いたしました。それで、私もと、お部屋まで必ずご挨拶に回るようになったのです。
数年前、京都の顔見世に行き、嵐山の『錦』という料理屋へあがりました。きちんと和服を着こなした京風の女将がお部屋からお部屋へとご挨拶に回られていらっしゃいました。九十二歳だということで、「よくやられますね」と感心して、お声をかけましたところ、「あなたを見習ったのですよ」と、おっしゃいます。よく伺ってみますと、何度か加賀屋へおいでになられ、お泊りになられた折、私がお酌をして回っていたということでした。
「料亭や温泉旅館では、今はどこでも見られるいい習慣だけど、奥さんが元祖や」といわれまして、ひとつの行為が波紋を広げていく、その限りなさに、嬉しいような、こわいような思いをかみしめたのでした。
余談になりますが、そのせいか現在は、ひざが角質化してしまい、正座することが困難となってしまいました。持っている着物のすべてのひざに当たる部分は、すり切れてしまっています。
お部屋回りは、お客様に感謝するという意味で、おかみとしては欠かせないことですが、お客様の満足度を肌で知るうえでも、これ以上の方法はないということにも気がつきました。お部屋へお伺いした雰囲気で、お客様のうちに対する評価がわかるようになってきたのです。
採算にとらわれずに、お客様と
真剣勝負をするつもりで
一番最初に、部屋の中を見回しますので、「奥さんはただ挨拶にくるんやない。部屋の中を見にくるんや」といわれました。事実、冷暖房は快適か、額の絵や床の間の飾りは季節に合っているか、曲っていないか、掃除は行き届いているか、お料理は……と、頭を下げて上げるまでの間に、実はこれだけのことをすべてみていたわけです。
そして、“観察”の結果をすぐに女中さんや板場さんにはね返すわけです。「○○の間の料理はすぐに取り替えて」「でも、予算どおりなんですけれど…」「いいからすぐ替えなさい。あれでは寂しすぎます」。そうしないと、私の気がすまなかったのです。採算を考えることも必要ですが、お客様に満足していただけなければ、“張り”というものがないですよね。
そんな意味もあって、「できません」とはいわないようにして、一人一人のお客様と真剣勝負をするつもりで、サービスにあたりました。「何とかという、珍しい名前のたばこが欲しい」と、いわれれば、七尾まで車を飛ばして買いに行かせました。酒宴が始まってから、「富山の酒(銘柄は忘れましたけれど)が、どうしても飲みたい」と、おっしゃる方がいらっしゃり、タクシーを飛ばして砺波の醸造元まで買いに行かせたこともあります。酒宴にはもちろん間に合いませんでしたが、夜中には届きました。
採算など合うはずもありませんし、無茶な要求だと思いましても、無茶とわかってて要求するお客様の願いがかなえられた時の驚き、喜びは、ひとしおだったようです。
そんなお客様は、必ず末永くお得意客になってくれましたし、友人、知人の紹介もしていただけました。そんなことなど、客商売の面白さをひとつずつ覚えていきました。