加賀屋の先代女将 小田孝が心を語る「元気でやってるかい」
13.進駐軍、来たる―。 -座イスをくっつけた洋式トイレ-
進駐軍の応待で本当の
民主主義を学んだ気がします
味のおもてなし
【造り】
氷室浮き玉盛/
赤貝鹿の子 鱸洗い 甘海老
生山葵
終戦直後、陸軍、海軍の軍人さんに変って、アメリカの駐留軍将校さんが来ることになりました。
第一陣は、九月一日に来る予定でしたが、台風で遅れ、翌日の二日の朝、ジープで乗りこんできました。なにしろその頃は、「アメリカ兵が来たら、青酸加里をふところに山にかくれろ」などと、いわれた時代でしたので、『女、子供は隠れているように』と、市役所からお触れが来て、実際のところ私も物陰から様子を見ていたのです。
トイレは水洗でしたが、洋式のものはありませんでしたので、夫は、見よう見真似で、座椅子を便器の上にくっつけて急場をしのぎました。今思い出してもおかしくなるようなあわてぶりで、いらない心配をやまほどしたくらいです。
こちらの食糧に毒でも入っていては…という懸念からでしょうか、第一陣は、カンズメなどを持ちこんできていましたので、お食事の方の心配はありませんでした。恐る恐るの対応ではありましたが、何の異変もなく二晩のお宿をつとめることができました。
その後、毎週土曜日の午後になると決まって来ていただくことになり、それまでは夫にやってもらっていたのですが、三~四度目かの時に、はじめて私がご案内をしてご挨拶を申しあげました。隊長を中心に五~六人がズラリと並ぶ部屋に入りました時、手の甲までも毛がモジャモジャと生えた、天をつくような大男たちばかりなものですから、おそろしい感じがしたものでした。
何をしゃべっているのか、私にはチンプンカンプンでわかりませんでしたが、隊長が何か話をしている時でも、兵隊たちは寝ころがったまま、ガムをクチャクチャかんでいたり、スパスパ煙草をふかしながら聞いている様子に、ビックリさせられました。日本の軍隊では、とても信じられないような光景です。このなごやかで陽気な光景に、おそろしいといった気持ちもいささかほぐれていきました。
もてなす心は
日本人も外国人も同じ
翌朝、私は、様子やいかにと部屋を伺ってみますと、隊長以下みんな、よだれかけのようなものを首にかけて、歯ブラシを使っていました。そのありさまをみて、「ああ、この様子なら、ムチャなことはいうまい」と、直感しましたので、「恐いことはないから、安心して接待をしなさい」と、女中さんたちにいい、女中さんたちにも接待にあたらせました。
女中さんの中に、三味線の上手な子がいましたので、「三味線というものを聞かせてあげましょうか」と聞きますと、「OK!!OK!!」と、大変喜ばれましたので、踊りもまじえて披露しました。「三本の糸で、どうしてこんな美しい音がでるのか」「ワンダフル、ワンダフル」と、拍手喝采でした。『敵国人』ではありましたが、遠い異国地にあり、ややもすると白い眼を向けられながら任務についていることを思い、加賀屋流の誠心誠意のサービスを、私が先頭に立ちやったわけです。
来訪が度重なるごとに打ちとけて、一緒に騒いだり、お酒を飲んだりと、本当に愉快な人たちでした。ただ、加賀屋といえば、魚料理が中心でして、それがあまりお好きではなかったようです。お肉を調達してのすき焼きなど、外人さんの口に合うような味付けにするため、板場さんは苦労をしたようです。毎回少しずつ味を違わせて、反応を見ながら、段々好みの味付けを見つけていきました。そんなこともありまして、短期間ですっかり気にいっていただけたようです。
「もてなす心は、日本人も外国人も同じ」と進駐将校さんをお迎えして、あらためて勉強させていただきました。