おもてなし

加賀屋の先代女将 小田孝が心を語る「元気でやってるかい」

05.庭を草履で歩きたい…。

田舎力士、旅館を興す―

加賀屋の料理イメージ

味のおもてなし

【焼物】
石焼/甘海老親子和え

小田与吉郎(夫・与之正の父親)は、津幡町(石川県河北郡)を山寄りに入ったところにある倉見の大百姓の三男坊でした。それが、百姓で終りたくないという男の夢で、しぶる乃へ(与吉郎の妻)をせきたて、当時三才の男の子を連れて和倉へとやってまいりました。その男の子が、私の夫となる与之正でした。時に明治三十九年九月十日ということです。

与吉郎はなかなかの力持ちで、田舎相撲では大関格でした。どこかで相撲があると、かならず出場するので名前も知られておりました。商売を始めてからも、相撲関係の人たちが多く泊ってくださり、お客様にことかかなかったようです。私がいうのもおこがましいのですが、ヤンチャというか、覇気というか、溢れるような活気を心身にみなぎらせた人であったそうです。

ところが、百姓のような力仕事はきらいで、「一生のうちに、庭を草履ばきで歩いて過せる暮らしがしたい。そんな商売がしたい」というのが口グセでした。「百姓の三男坊がそんな夢みたいなことをいっていては、どうにもならん」と、母にたしなめられたこともしばしばだったということを、後年、夫より聞きました。

露地に湯の湧く土地の鼓動が
胸にグンと来た

たまたま、与吉郎の父、与右衛門が持病のリューマチに悩まされ、「和倉の湯につかるのが一番や」ということで、しばしば、湯治に和倉へ来ていたそうです。もちろん乗り物などない時代でしたので、馬に乗り、手綱をひかせて朝早く津幡を出ると、晩方にようやくたどり着いたということです。

一週間、二週間と滞在することもしばしばだったそうで、柴端旅館さんが定宿だったようです。そんな時、いつ来ても、柴端旅館さんの向かいにある館が、つまり今の加賀屋になるわけですが、いつも大戸を閉じたままで、ひとっこ一人出入りしている様子がないことを不思議に思っていたそうです。女中さんに尋ねてみますと、「あそこはだめですちゃ」とにべもなく答えたといいます。それがかえって面白く、根ほり、葉ほり尋ねるということになったわけです。

当時は湯元から埋樋で湯をひいており、各旅館ではその客の数によって営業組合に湯銭を払っていたそうです。ところが、奥原さんという人が所有する問題の館では、中庭の露地を掘ったら湯がコンコンと湧いてきたそうで、自分の土地に自分の力で掘った湯に、湯銭を払う理由がないと主張し、和倉で湧いた湯はすべて組合のものという組合の意見と対立したそうです。奥原さんのいい分にも一理あったと思えますが、この一件で村八分のようになったため商売ができなくなり、百姓にもどっているとのことでした。

この話を父から聞いた与吉郎が、身をのりだしたのはいうまでもありません。かねがね自分の性にあった、これぞと思う商売と出あえるのを待ち望んでいた矢先でもあり、『露地に湯の湧く土地の鼓動』が、胸にグンときたそうです。

奥原さんと数回の交渉を経て、その間さまざまなことがありましたが、商談成立とあいなったそうです。当時のお金で三千円であったと聞いていますが、所詮百姓でありますから、現金などそんなにあるわけでなく、結局は親類、縁者からお金を借り集めて、こちらへ移住ということになったわけです。

十二室で三十人収容。それが加賀屋の出発だったのです。

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